奇跡的に治った患者さんの体験談

 

STAP、IPS細胞、開発成功時の終着治療が天津会の神通治療である。

 

Q1

村山先生は、自分の職業に関係ない本を10冊も出版したのは何故ですか?

A

・本を出版したのは、本を発売して儲ける為ではありません。

・本を出版した目的、平和で平等に暮らせる、心の時代を作りたいからです。

 

Q2心の時代を作りたいとの、その気持ち、どうして考えたのですか?

 

答  格差社会が大き過ぎて世の中が旨く行っていないからです。
・私は戦後の生活を、知って居ます。食する為に泥棒などもありました。私は深山の農家育ちです、米、豆、鶏、ウサギ、スイカ、リンゴ、などが盗まれることもありました。農家でありながら、戦争のお陰で白米を食べることは不可能でした。国民の多くは好きで戦争をしたのではありませんでした。

・今の安倍首相も積極的平和主義などと言っているが、やっているのは軍事政策ばかりでしょう。国民が気付かないと再度戦争になる。後悔するな。

・安倍首相だから、近隣諸国関係が急に悪くなった。日、中、韓、北朝鮮とも。

 
Q3

世界各国でも戦争が絶えないのに先生は平和にできると思っているのですか?

 

A

それを言われたら、難しいが、自民党の政治家には醜い古い政争が有るのです。

支配者になると偉くなるのです、子分を好き勝手に操る政争が有るのです。

1、(世襲の議員が首相になると縋る力を利用する悪なる能力が備わっている)。

2、(世襲の平議員には、縋る能力を備えている、平議員は神輿を担ぎ縋る)。

自民党の政治家は立派な顔を見せるが、どれもこれにも操られ、縋るだけ。

 

安倍首相に完全に子分の政治家が操られた、子分議員は安倍氏に縋り付いた。

日本の政治界から官僚組織まで、切るに切れない腐れ縁で結ばれているのです。

国民も自民党も村山文学に気付けば、平和平等な社会生活を構築可能です。

 

偉人は縋りを仕向けた・しっかり掴まってきた、大臣ポスト頂き縋ってきた。

縋ってきたから、支配者は見えない糸で子分を自由自在に操っているのである。

日本の政治家は、国民の為に働いていない、封建的な子弟関係の政争権世界。

操られた者が政治学者だから、いままでに政治学は進化してこなかった。

国会を見るが良い、首相にペコペコしている。天には偉い本物の神が居る。

 

Q4

村山先生は建築業者でありながら別天天国や神の事を何故話せるのですか?

 

A

先ほど、首相体験の世襲議員には封建的な政争権世界が有ると述べました。

自然の成り行きのように首相の子が再度首相に成っているのです。

戦後70年経過したが、封建世界から脱皮することが今でも不可能なのです。

外交においては、安倍首相が近隣諸国と喧嘩して、外務大臣がアメリカに呼ばれ近隣諸国と仲よくしなさいとアメリカに命令されて帰ってくる。「情けない」

 

私は30年前から心配した部門、私の著書を読んで古い頭を修正しなさい。

日本の世襲議員は政争を終わりにせよ。村山文学で勉強して大人の日本になれ。

私は神の代行者だから、別天天国や、神の話しをしたのである。

 

政治家は、神を知らないから、国民の幸せを考えられない、自民党は現在でも封建的な潰しあい、複数の指導者が政争を繰り返しで、座を得たものが団結を図り政権維持することに全力を注いできたのが自民党政権なのであった。

宗教団体も自民党政権も同質、善悪の判断不可能な頭で、政争に打ち勝つためだけに努力して来た人間たちなのである。
 

Q5  神には、開運を与える力も、祟りを与える力も有るのですか?

 

A

私が説明しなくとも、既存の宗教団体でも、私と同じことをやってすます。

ただ違うのは、技術を発揮できる能力が備わって居ないだけでしょう。

技術を備えるには、心と言葉を正しく修正する事です。技術はそれからです。

Q6

村山先生は実際に技術で難病を救ったり助けたり、どうして可能なのですか?

 

A

私は神の代行者です、近代医学でも治せない難病でも、治せる奇跡もある。

一人一人の人間の運命まで分かる。注意すべき事、修正すべき事まで分かる。

神道学技術実践治療は、神経にトントンと指先で刺激して、細胞、リンパ、の自然治癒力を生かして、腫瘍から、神経の疲れを取り除き元気力を蘇らせる。

 

Q7

一度の治療で難病が奇跡的に治ると聞くが、どの様な病気なのでしょうか?

A
1、子宮管が捻じれの激痛、手術日が決定されたが、手術すると大学受験不可能の為、知人の紹介で大阪から来会された、一度の治療で子宮管は正常に回復。

2てんかん、神道学技術実践のトントン治療で、即に治る。一年に一度位の、再発有るので、一か月に一度のトントン治療を続けて完全に治った。

3、メ二エル病、 滋賀県から来会、一度のトントン治療で治った。現在は神道学技術を身に付けたので、他人の病気まで治しています。

4、トキソプラズマ脳症、視床下部周辺に5センチほどの脳腫瘍。左側の視野障害と左腕のシビレ、医者に手術は不可能と告げられた。薬が効かないので色々の薬を飲み、薬付けで、体がボロボロになった。一年半くらいの通院と入院しても効果ゼロ。民間療法でも駄目だった。私、村山政太郎の著書を本屋さんで見つけて、藁にすがる思いで来会された。一度のトントン治療で奇跡的に完全に治った。現在は治療師として活躍中。

5、脳梗塞、知人から4日間の命だと言われて、建築の本業が終わってから神通パワー治療を4回施した、4回の治療で後遺症も少なく元気に活動活躍中。到着したときは「真っ白の顔」が、一回目の治療で血色まで元に戻った。

6、ホスピス患者に神通パワー治療施術、一度の治療で奇跡的に正善を知った。人間がこの世で生きている意味を教えて上げたら、村山さんに早くから縋りたかったと言って明後日に死んで行きました。(夫婦親子たち口論するな)私は家族に変わり、金木で、天津会で供養している。管理職の銀行員でした。
私の著書を読んで、心の事、天国の事を勉強して下さい。(安らかになれる)

7、兄が胃がんで胃を全部摘出、弟も胃がん5センチの大きさ摘出した、3年経過したので心配で我慢できなくなって、天津会に参加して「神通治療」を受けた、再診の結果、大腸に2センチ大の腫瘍が発見されていたそうです。私は、天津会に参加してくれた当初から心配事があるでしょ、と私が訪ねても有りませんとの、返事しか帰って来ませんでした。
今後、隠さずに、何でも教えて下さいと言い伝えました。
私には、小さな腫瘍ガンなら消えてなくしてしまう体験技術が備わっている。神通治療を一か月に一度の神通治療を受けた結果、ガン菌は死に陰性でした。天津会で一か月に一度の神通治療で病気から運勢まで開花するのである。

8、家族が繁栄して心豊かで円満にできないのは、家庭内に口論があるからです。

一つの命の人生です、遠慮しないで、一度でいいからまず参加して下さい。

心身ともに疲れ切って頑張ってくれているがコリが溜まってコリコリしている。

貴方は疲れているよ、何時までも我慢しないで天津会に参加して下さい。


天津会の神通治療は万病に、パワーを与えるスッキリ安心療法です。

私が頼まれて末期患者に会うと、村山さんの指導を早く受けたかった、

そして、縋りたいと言って亡くなっていくのです。

死後、別天天国までの精神世界から永遠の世界まで、私は話しをしています。

 

私は神の代行者として、正義を講義指導している。

私の心の勉強講義で悟れた人も居る、亡くなる直前で悟りたかった人も居る。

著書、「神道学技術実践書」39頁、に記載して有ります。
私の死後、忘却文学では困る、私は生きている、
遠方でも、参加して、村山政太郎文学を一度学んでください。



ウツ病でも大量の薬を飲まないこと、神通治療をお勧めする。
ガン手術も心の病気も身体のすべての疲れまで天津「アマツ」神通治療を。
 
手術や大量の薬では、痛くなるばかり、苦しく生きることが決まっている。
神通治療には奇跡がある、奇跡を実現するためにセミナーで心の勉強を指導中。
神に通じる心になるから、医療界で不可能でも、天津神は奇跡を実現している。
神に逆らう手術は、痛みに耐えられなくなる、痛み止め薬の使用は地獄療法。
 
神通治療は、痛苦しい人生に成らない、長生き治療が天津神通療法なのである。
全世界の人類が知らない最高の先端技術です、天津神道学技術なのである。
 

奇跡の実例

セミナー受講だけで、神通治療だけで、近代医療の不解決を解決した実例。

1、メニエル病、一度の治療で解決。

2、脳に手術不可能部の腫瘍、一度の治療で消えて無くなった。

3、手術困難な子宮管の捻じれ手術予約、試しに受けた一度の神通治療で解決。

4、不妊治療で大金を使って諦めた人、試しに受けた神通治療で子が授かった。

5、脳梗塞で四日間の余命、病院での四回の神通治療で元気に蘇り活躍中。

6、数年の気持ちの落ち込み、人混みが苦手、他人の目が気になる、自信喪失。

心の問題、うつなど、婦人病、虚弱体質、疲れ、不安心配性、運勢開運まで。

セミナー受講だけで、神通治療だけで、解決した一部の実例を紹介した。

 



2013/03/00・・・から実際に奇跡的に助かった本人が、体験事例を説明する。
人生迷いで困って、天津会に参加してくれる人を私は患者扱いにしていない。
これから、人生成功奇跡事例を発表して頂くから皆さんも参考にしてください。


発表文章
平成25年2月28日


(ブログにも掲載されています。: http://blogs.yahoo.co.jp/s2tkc/63952946.html

感謝状
天津神々に感謝します。ありがとうございます。
天津会の村山先生に感謝します。ありがとうございます。

私は神道の勉強を始めたばかりの初心者で、
つたない手紙ですが感謝の気持ちを手紙に書きたいと思います。

私が天津会にお世話になったきっかけは、
病気の治療で苦しんでいて何か良いものはないかといろいろと探していて、
村山先生の著書に出会いホームページを拝見させていただいたのがきっかけでした。

神通治療というものがあり、
効きすぎるぐらい効果があるということなので、一度受けてみたいと思いました。
本当に悩んでいましたので、ワラにもすがるような気持ちでした。

私の病気はトキソプラズマ脳症で、視床下部周辺に約5センチほどの脳腫瘍がありました。

左側の視野障害と左腕にしびれがありました。
医者は、手術が出来ないところなので薬で様子をみましょう。といい、
大量の薬が処方されました。4カ月ほどの入院生活の後、
一年ほど自宅アパートで静養しながら通院していました。

担当の医者はいつもこう言いました。だいじょうぶですよ、
Hさん、去年の同じ病気の患者さんも回復してますから、
Hさんも大丈夫ですよ。と、大丈夫、大丈夫ばかり口癖のようにいい、
何がどう大丈夫なのか?どのように改善
しているのか?何も説明してくれませんでした。

経過観察がつづきました。次々と薬を投与し、薬が効かないと薬の量を
2倍にし、薬によりアレルギーが出て、薬疹がでると、すぐまた別の名前の薬が処方されました。
薬を飲むだけでおなかが一杯になり、薬の副作用で吐き気とめまいに苦しみました。

体調はぼろぼろでした。仕事ができる状態ではなく、ほとんど横になって一日を過ごし、
心理状態も良くありませんでした。
自分はもうだめなんじゃないかと、被害妄想のようなことも考え、落ち込んでいました。

この状態から早く抜け出したいけど、何をどうしたらよいのか?さっぱり解りませんでした。
ただ一人ぼっちで、本当に理解して助けてくれる人はいませんでした。
病院の治療以外にも、鍼灸、気功、などいろいろ試しましたが、
ほとんど変わらずにいましたが、何かいいものはないかと探し続けていました。

何かの不思議なご縁で、天津会にお世話になり村山先生の神通治療を受けさせていただきました。
村山先生の治療は強力で、受けた後2日ほど筋肉痛のような状態になりましたが、
体がスッキリと軽くなり、頭もスッキリとして、
今までもやもやとしていた重苦しいものが消えていました。

気持ちも軽く前向きになり、1回の治療で心が十分満足して満たされていました。
だんだんと体調が良くなり、目の視野も良くなり、左腕のしびれも良くなり、
その後のMRI検査で、脳腫瘍の影も消えていました。

先生の治療を受けて1カ月後には普通に日常生活していました。
私は自分の病気が良くなって初めて
村山先生は本物だと思うようになりました。

そして、天津会でもっと勉強してみたいと考えるようになりました。

天津会の振魂修行は、始めは何も解らずにいました。周りの方々の振魂の様子をみていて、
そういうこともできるんだなあと遠くから観察しているような感じでいました。
とりあえず、7回続けて勉強会に出てみてくださいという、お言葉を掛けていただき
ましたので、7回出てみてからまた考えようと気軽な感じで勉強会に参加していました。
そして、7回目の参加のときに、ゆっくりとした振魂が私にも来ました。

ゆっくりと、前後に揺れて、地震かな?めまいかな?という感じのゆっくりとした前後のゆれでした。
初めて振魂らしきものが来て、初心者ながらも続ければ自分にも出来そうかな?
と少し感触をつかんだ感じでした。勉強会に出ると、自分のわがままな部分や、
いろいろなことが気づきます。当たり前と思っていたことが、当たり前じゃないんだということ、
心の修正が大事だということを教えていただきました。

勉強会に参加して半年が過ぎたころ、村山先生からどの神様の神札が欲しいか質問されて、
須佐之男大神の神札ですと答えた後に、自分も神棚を持たなければならないと思いました。
それまでは、神棚が無い状態でした。恥ずかしいぐらい鈍感ですが、
お言葉を掛けていただいてから神棚が必要だと気がついたのです。

そして、自分の出来る範囲で一生懸命神様をお迎えする準備をしようと思いました。

自宅アパートに神棚を置くために簡単な図面を書き、東急ハンズでヒノキの木材を買ってきて、
神棚とお社を作りました。
素人の手作りの粗末なものでした。その後の勉強会でTさんにいろいろ教えていただき、
自分が作ったものでは神様をお迎えするのには十分ではないと解り、

もう一度、ヒノキの木材を買いに行き新しく作り直しました。
2度目は心を込めて作りましたので、神様も喜んで下さると思えるできばえでした。
一度失敗したことで、神様に対する姿勢が間違っていたと知ることが出来ました。

神棚とお社を置いた部屋にはヒノキの木材の香りがほのかにしていました。

しかし、まだ、だだの棚板と木の箱でした。この神棚とお社を手作りする時間で、
神様をお迎えする心の準備もできたと思います。

村山先生から、須佐之男大神の神札をいただき自宅の神棚のお社に安置して、
二礼二拍しました。お社は、昨日までだだの木の箱でしたが、今は違う感じがしました。
神札を置いてから、キーンと静まり返ったような音無き音のようなものを感じて、
清々しい感じがしました。

先生から神札と一緒にいただいた祝詞を奏上し振魂すると今までより力強い
小刻みな前後の振魂が来ました。力強い振魂が来て、神様の恩恵を感じて、
今までに無い感謝の気持ちが湧いてきました。

本当に自分は鈍感で申し訳ないと思いますが、
神様の恩恵が来てから初めて神様をお祭りする意味がわかりました。
天津神々に感謝します。ありがとうございます。
天津神々にお取り次ぎして下さった村山先生に感謝します。ありがとうございます。

祝詞を頂いて、初めて解ったことがあります。
村山先生は、天津会員のために毎日朝夕御祈願下さっていたこと。
ありがとうございます。

涙を流してお祈りされていたんだなあと感じます。
そして、今まで居眠り半分で聞いていた祝詞が、
自分で奏上するとぜんぜん今までと違うもので、神様と交流する大事な大切なものだと
体と心で納得しました。
自宅の神棚の前で祝詞奏上するようになってから、勉強会で奏上する祝詞が
今までと違うように聞こえました。胸に響く感じがしました。

村山先生とのご縁で、神通治療を受けることも、勉強会で学ぶことも
天津神様のことも知ることもできました。村山先生に感謝します。

自分で手作りしたお社に神様が宿って下さったことを感じて本当に感謝します。
このヒノキのお社に神様が来て下さったように
自分自身もヒノキの木材のように素直な人間になり、
村山先生のように神様が宿れる人間になりたいなあと思いました。
少しづつの前進ですがよろしくお願いします。

自宅での振魂が少しづつ力強くなってくる様子から天津神様は、
私のことを見て少し気に入って下さったんだなあと、実感します。

自宅に神棚が出来て、神様に親しみの気持ちが少しずつですが、出てきているのを感じます。
これからは、神様に嫌われないように、もっともっと神様に喜んでもらえるように
自分の出来ることを、自分なりの一生懸命でがんばりたいと思います。

人生を振り返ると自分は今まで神様のことをはねつけて生きて来たように思います。
天津神様は、私が受け入れるまでずっと忍耐強く待っていてくださったと思います。
今後は、自分が神通治療できるように少しずつ勉強していきたいと思います。

自分が病気で苦しんでいる時に、助けて欲しいと本当に考えました。
そのような人に手助けをできるようにもっと勉強して、
自分の周りのご縁ある人に天津会のこと村山先生の事をお伝えしていこうと思います。

平成25年2月28日 H.Y



平成25年4月7日

昨年、私は、天津神様、村山先生に救われました
私は、病を通じて、村山先生とお会いする機会をいただき、これまで
良かれと思っていた生き方を修正するようになりました。
 今回、私が村山先生とお会いし、私の生き方がどのように変わって来た
のか、話をさせていただきたいと思います。
  
(1)これまでの生き方:
 1984年より、私は某大手コンピューターメーカーに、約5年間勤務いたし
ました。当社は全世界でビジネスを展開しており、当時は、国内の業界において
は、売上の1,2位を争っておりました。当社の業績は安定しており、
定年までの生活は、ほぼ約束されておりました。しかし、入社してから
2,3年経過すると、私は、自分の仕事に疑問を持つようになりました。
会社/仕事は安定していればそれで良いのか?現在のような仕事を本当に
望んでいたのか?何かスキルを向上させれば、より充実した仕事に就ける
のでは?など。ある日、私は、書店にて、そんな悩みを解決してくれる
本に出会いました。例えば、成功哲学(ナポレオンヒル)、人間向上の
知恵(ノーマンVピール)、眠りながら成功する方法(ジョセフマーフィ
ー)、積極的な考え方の力(ロバートHシェーラー)などの翻訳本です。
これらの本の共通点は、人生を成功に導くためには、
○大宇宙の偉大なる神/力/見えざる真理に感謝する。
(この神とは、特定しておりません。)
○出来るだけ大きな目標をたてる。
○目標を達成するための方法論を考える。
○目標を達成するために願望を潜在意識にインプットする。
○目標を達成するために最善を尽くす。
○目標が達成されるまで決してあきらめない。
○目標が達成されたら、また、次の目標を設定する。
 私は、自己啓発書に大変感銘を受けました。「一度しかない人生だ。
人間には無限の可能性があるのだから、大きな目標(夢)を持って、
自分を信じ、積極的に生きよう。」 
 私は、将来、国際的な市場で仕事をしていく目標を立てました。
5年間勤務したコンピューターメーカーを退職し、29歳の時に渡米し、
英語力を高め、国際的な市場で活かせる資格も取得しました。以降、シンガポー
ルやタイランドでの駐在を含み、外資系企業に20年間以上勤務してまい
りました。外資系企業は、短期利益追求型(株主への還元が優先)が
多く、特に私が所属していた営業部門での生き残りは大変厳しく、
精神的に辛い日々が続いておりました。しかし、20代に学んだ自己
啓発書が活力源となり、過酷な状況でもなんとか乗り越えてまいりました。
 国際市場での仕事の意欲はますます高まり、特にアジア市場でのビジネス
の可能性を追求し、2011年の夏には、中国/上海へ行き、中国語の勉強にも
励んでまいりました。
(2)病:
 2011年末、私は突然左耳に違和感を感じました。左耳が詰まり、耳鳴り
(キーンという高い音)がしました。私は急いで病院へ行き、耳のレントゲン、
頭部MRI、頚部エコーなどの検査を受けました。すると左耳の閉塞感や
耳鳴りは中耳炎が原因で、中耳炎が改善されればこれらの症状は治まって
いくとの事でした。私は、医師の指示に従い、しばらく、処方された点眼薬
や飲み薬で様子を見るようにしました。1ヶ月程経ちますと、左耳の閉塞感
はなくなり、中耳炎も良くなりました。しかし、耳鳴りは以前と全く変わり
ませんでした。医師は、「検査の結果、左耳の聴力や骨などには全く問題は、
ありません。中耳炎が治っても耳鳴りが良くならないとなると、この治療は
難しく、耳鳴りに慣れていただくしかありませんね。」と言われました。
私は、この言葉に大変ショックを受けました。耳鳴りは、日中は、外音があ
るところでは、殆ど気になりませんが、問題は、寝る時で、外音が無いので
なかなか寝付けません。そこで、ある時は、ラジオ、CD,テレビなどを
ONにし、耳鳴りが気にならない方法をいろいろと試めしましたが、それで
も結果は思わしくありませんでした。インターネット、医学書、健康関連の
雑誌など、耳鳴りに関する情報を多方面から収集しましたが、耳鳴りは、
やはり治りづらい病気であることが徐々に分かってまいりました。 
 2012年2月末頃からは、耳鳴りが少しでも良くなればと、針灸、整体、
マッサージ、サプリメント、漢方、遠赤外線治療、光線療法、気功などを試
してみました。しかし、耳鳴りや不眠は、一向に改善されず、2012年7月頃
までは、1日平均2、3時間程しか睡眠をとることができませんでした。
 私の身体は、自律神経(血管や内臓の働きを調整する神経)のバランスが悪
くなり、交感神経の緊張を招くようになりました。このような状態が長く続く
と、医師から、睡眠導入剤を飲むよう強く勧められましたが、私はこれを拒ん
でまいりました。なぜなら、睡眠導入剤は、即効性がありますが、その副作用
は強く、身体の免疫力を必ず低下させるからです。  
(3)天津神様、村山先生との出会い:
 或る日、書店にて「あなたの悩みの意味を教え運気を拓く」というタイトルの本に目
を引かれ購入しました。この本には、難病を治療してこらえれた気功師やヒー
ラーなどの情報が掲載されておりました。すると、その中で、村山先生(天津
会)のページに目が留まりました。そこには、「レントゲンで見なくても病が
分かってしまう振魂で、医者にガンと宣告された人の病さえ改善されて来られ
た。」とありました。私は、「この先生であれば、私の症状を何とかしていた
だけるに違いない。」と思い、すぐに天津会に連絡してみました。すると、
新井孝子さんに電話に出ていただきました。私は、自分自身の病状について話
をすると、新井さんは、「突然このような病を生じたということは、何か特別
な原因が背後にあるはずです。」と、私に先生との面会を勧めていただきまし
た。私は、この電話で、すぐに先生とのアポを取っていただき、2012年8月15日
に初めて村山先生とお会いする機会を得ることができました(当日、先生は、
夏休みにもかかわらず、時間を調整いただき、誠にありがたい思いでした)。
先生は、大変穏やかな表情で、私の話をじっくり聞いて下さいました。そして、
私の顔をじっと見るやいなや、「あなたの背後に、先祖の不成仏霊と外水子霊
がついています。これらが、あなたの身体を苦しめている主な原因です。霊は、
成仏したくて、あなたにシグナルを送るために、このような病を生じさせてい
るのです。」とおっしゃいました。私は、この言葉に半信半疑でした。しかし、
霊障について理解を深めるため、先生が出版された本「聖なる神通力」を読み
ますと、そのお言葉の真実味が増してまいりした。その後、私は、霊障を取り
除くために、8月の第3日曜日の天津会セミナーの終了時に、先生に、霊の
供養をしていただきました。すると、私の身体は少し軽くなったような気がし
ました。 
 しかし、耳鳴りや不眠の症状はしばらく変わりませんでした。そこで、
先生に再度お尋ねすると、「神経疾患の場合、回復には少し時間がかかりま
す。症状を改善していくために、次のことを実行して下さい。」とアドバイ
スいただきました。
?心を正す:
 「病は気から」と言われるように、心を正す要があり、そのために、まず、
天津会のセミナー(月2回開催)に出席させていただきました。また、先生の
本を繰り返し読むことを勧められ、「聖なる神通力」を含めて、「交神力」、
「神秘な脳内革命」など計8冊読ませていただきました。
?神通治療を受ける: 
 神通治療は、その効き目を身体で十分感じることができました。不思議なのは、
私の身体の悪い箇所に先生の指が自然に動くことです。私の場合、長い間の
疲労やストレスで、神経、血管、筋肉などの炎症や詰りがあるとのことで、
これらの箇所(特に背中)については、絶えられない程の痛みを感じました。
また、治療終了時は、すぐに立ち上がれない程ふらふらな状態でした。神通
治療は、2012年8月末?2012年10月末まで、村山先生と神通力者の新井さん
に計約10回程お願いしました。
 「不成仏霊の供養」、「神通治療」、「心を正す」などにより、気持ちは
徐々に安定し、体調は日増しに良くなってまいりました。2012年12月頃からは、
これまで散々悩まされて来ました耳鳴りは、気にならない程になり、よく眠れ
るようになりました。

(4)今後の生き方:
 私は、20代に出会った「自己啓発書」に強い影響を受け、以降、目標としてい
た国際市場での仕事に20年以上チャレンジしてまいりました。しかし、51歳を過
ぎて、突然身体に大きな変調(耳鳴り、不眠)が起こり、生活に支障をきたすよ
うになりました。なぜ、だったのでしょうか?それは、これまでの生き方のどこ
かに間違いがあったからでしょう。では、今後、どのような生き方に修正すれば
良いのでしょうか?
それは、「天津神様に喜んでいただく(愛される)ような生き方をする」ことで
あり、そのために、次の事を実行してまいりたいと思います。  
神前での修行:
 私は、2013年2月19日?自宅に「天津須佐之大神様」を奉らさせていただくこと
ができました。自宅神前にて、呼吸法、清め法、祝詞奏上、振魂などの修行は、
毎日欠かさず実行しております。また、今後も、月2回開催される天津会セミナー
での修行にも可能な限り参加し、天津神様との合一に努めてまいります。 
先祖霊の供養:
 私の場合、先祖の霊障があり、昨年、村山先生に、不成仏霊の供養をしていた
だきました。原因不明の病気の根源は、殆ど霊障があります。今後は、年に2回
(1月2日と7月15日)行われる、天津会での供養際には必ず出席し、先祖供養
をしっかり行っていきたいと思います。 
心の改善:
1:世のため、人のためにも生きる心
 私が20代に感銘を受けた“自己啓発書”には、人生を成功に導くためのノウハ
ウが主に書かれておりました。大きな目標を持ち、その目標達成の為、チャレン
ジ/努力していくことは、人生において大切なことです。しかし、神様はそれだけ
では喜びません。人間は、一人だけでは生きられません。自分のことだけを考えて
生きていくのではなく、「世のため、人のためにも生きていく」という心も持って
生きてまいりたいと思います。
2:思いやりの心
日常生活で、多くの人がストレスだと感じているのが、人間関係です。私も、
これまで、しばしば職場で、スタッフや同僚などとの人間関係に悩まされまし
た。今後は、いかなる状況であれ、相手との対立を避け、相手の言葉によく耳
を傾け、思いやりの心を持ち、人縁関係の改善に努めてまいりたいと思います。
また、人間関係でもう一つ大切なことは、「言葉」に注意することです。
なぜなら、発する一言で相手の心を不快にさせてしまうことがあるからです。 
3:強欲な心に注意
生きていくためには、ある程度、欲を持つことが必要です。しかし、欲(金銭欲、
物欲、権力欲など)を強く持ち過ぎますと、しましば問題が生じます。お金は、
あの世には、決して持って行くことは出来ません。
4身体を大切に:
 肉体は神様からの借りものです。神様からの借りものは決して粗末にしてはなり
ません。私は、これまで、自分の身体に自信過剰なところがあり、その罰が、51歳
を過ぎてから生じた身体のトラブルでした。今後は、睡眠、食事、運動などに十分
気を配り、身体を大切にしていきたいと思います。
5ご縁のある人との時間を大切に:
 私は、これまで、典型的な仕事人間であり、時間の殆どは仕事に費やして来ました。
時間は、有限です。生きていく上で、仕事をしていくことは欠かせませんが、この世で
ご縁をいただいた人達(家族、親、兄弟、親類、友人、天津会員など)との時間も
大切にしていきたいと思います。 
 
 以上、病を通じて、天津神様、村山先生とお会いしたことにより、私の生き方が
どのように変わって来たのかにつきまして話をさせていただきました。
 「天津神様に喜んでいただく(愛される)ような生き方をしていくこと」が、
今後の私の生きていく柱となります。そして、その先には、「神通力者としての道」
や「別天天国への道」か、開けていくことと確信しております。
 最後に、私の生き方を、正しい方向に導いて下さいました村山先生に、この場を
お借りいたしまして、厚く御礼申し上げます。

Kさん





2013.9.15発表
体験談を述べさせて いただきます。

天津大祖大御神様、天津祭神大神様、村山先生に
一言お礼を述べさせていただきます。
 
今私が、ここにこうして生かされて、人並みに働き収入を得て暮らしていくことが出来ていられますのも、天津神様 村山先生に巡り合い、ご加護をいただきお導きをいただいているからこそで、ございます。
 
天津神様、村山先生に巡り合うことが出来なかったら、今頃は、心の病気も悪化し たぶん廃人同様になっていたものと思います。
また天津神様、村山先生に合わせていただいた、
日野さんにも感謝を申し上げます。
 
日野さんのお導きがなかったら天津会を知ることも神様の存在も何も知らず
いやな人間で一生終えていたことと思います。
村山先生と、同じ時代に生きて、天津会に巡り合えましたこと、
本当に奇跡的と思っています。
このご縁を、大切にして今後とも天津会にて勉強させていただき、
別天天国へ帰天出来るような人間になれるよう努力いたします。
 
【心の病気と霊障について】
私は、伊藤家の次男としてこの世に生を受けました 
私の兄は、私が生まれる前に0歳で
消化器系の病気(消化不良)で死亡してしまいました。
その後、私、弟 妹二人の4人兄弟の一番上で
実質の長男として、今日に至っています。
 
4人兄弟の仲にもう一人生まれるはずでしたが、
母が流産し水子としてこの世に生を受けることのなかった兄弟がいます。
 
以上のことから私には、少なくとも二人の 成仏できない霊が二人いて、
私に霊障を発していたものと思います。
霊障につきましても、天津会に巡り合えて知ったことです。
 
心の病気や体の不調が、霊障によるものだとは、
天津会と出会うまで、知る由もありませんでした。
また仏壇の中に、箱位牌があり、
先祖代々のご先祖様の位牌を、そこに閉じ込めていたこと
ご先祖様を、牢屋に入れているようなものでした。
 
それも霊障の大きな原因で、あったことを先生より知らされました。
さっそく伊藤家先祖代々の霊の位牌を作り村山先生に供養をしていただき、
仏壇の中も、すっきり整列し気分もよくなりましたことを思いだします。
村山先生に、先祖代々の霊、祖父の霊、父の霊、兄の霊、兄弟分の水子の霊、を金木に移していただき供養していただいて、
自分の心も軽くなりました。ありがとうございます。
 
また供養していただいて私にのしかかっていた、難儀が改善していきました。
1.  天津会に訪れてすぐに息子三人が安定した職に就くことが出来、今では、孫もでき元気で働いています。
2.  ローンも完済し心の重荷がなくなった事
3.  息子の嫁の水子も供養していただき、息子家族も円満に暮らしています。
4.  わたくしたち夫婦も、毎日平凡ですが何事もなく穏やかに生活ができております
5.  私も心の病気(不安心配症・パニック)ですが引きこもることもなく当たり前に仕事をさせていただいております。先生のお導きにより今の会社では、営業部長の職にまでなることが出来ました。
6.  三男も外水子を供養していただきました、すると扁桃腺による体の不調がうそのようにおさまり元気はつらつとして仕事をしています。
よい出来事は他にもたくさんあります 
ご先祖様に対する、日々の供養、回忌の供養、天津会の供養祭での供養を怠ることなく、ご先祖様が安心して、天国を目指せるような状況にしていくことが子孫の役目だと思いますとともに、天津神様、村山先生には、ご先祖様をはじめ水子等の供養をしていただいていることに、関しまして改めて感謝申し上げます。
おかげさまにて、霊障もなく穏やかに暮らさせていただいております。
 
【小言と言霊について】
 
私は、幼いころより祖父と一緒に寝起きしていました。
祖父は小言の絶えない人で、夜床に就くと、居間で酒を酌み交わしている父のことを、文句ばかり言っていました。 
その当時農家の長男たちの仕事は、朝から晩まで田んぼで働き、それによって収入を得て生活していました。
楽しみといえばきっと同じ部落の長男たちとさけを酌み交わすことぐらいだったのではと思います。
酒飲みが始まると、決まって小言が始まります、
隣の部屋に祖父と一緒の布団で寝ていた幼い私(当時幼稚園)は小言が始まると耳をふさいでいたことを思い出します。
幼い私の心の中は、その小言が始まると苦しさを覚えました。
その時の状況は、50年たった今でも鮮明に頭と心に残っています。
祖父に対しては、なぜ毎日こんなことを言うのだろう、また始まった いやだなーと心でつぶやいていました。
 
小言により私の精神まで病みそのため、たびたび熱を出して寝込むことが多く神経質でひ弱な子供時代だったように思います。
父に対しては、早く酒飲みをやめて、解散し眠ればいいのにと思いながら眠りについていたことを、思い出します。
幼い私の心は、傷つき苦しかったことを今でも覚えています。
不安神経症で不安が募り苦しくなる
毎日のように小言を聞いて育ちましたので、神経質になり心が病んでいったように思います。
言葉の大切さ、相手の発した言葉によって
一人の人間がいかに傷つき長年にわたり、 苦しみ、
それによって心の病気を発症しやがて不幸になっていくことを体験しました。
 
また以前に天津会で発表させていただいたことですが
これもまた、言葉による大きな心の傷があります。
小学校に、入学して数か月、工作の授業がありました。
前の日に、糊を持ってくるようにと言われ 母に申しましたところ 
自家製の小麦粉をとかしトロミを付けた糊モドキのようなものを持せられ 
登校することになりました
私は店で売っているものがほしく友達もみんな店で購入し持たされて元気に登校するため私を迎えに来ました。
 
私は母が作った手製の糊を持っていくのが嫌で、たまらなくいやで、
駄々をこねはじめ、登校を拒否したところ、
うでを引っ張られ無理やり引きずられ泣きじゃくりながら、
腕が痛くなるほど引きずられ 幼い体で、必死に抵抗し、
小学校の目前まで来たところ
 
母も頭にきたのか 【殺すぞ】とすごい形相で言われ
心がどきどきしひどい恐怖感でした 空は青空、稲穂も揺れていました 
その時の状況は鮮明に頭と心に焼き付いています。
 
言葉の威力は、すごく強力で一人の人間の一生までも狂わす力があることを体験させていただきました。
私も、来年は還暦を迎えますが、わずか 6 ・7歳の幼少期に発しられた一言が50年たった今でも、鮮明に頭に焼き付いていることは、発する言葉はその一言で相手の人間を殺すほどの威力があること実感させられました。 人間が発する言葉は一人、一人が責任をもって相手の立場になって思いやりのある言葉を発すれば、相手も心地よくなれると思うし、ひいては、世界まで変える力になるのではないかと感じます。
 
中韓の問題にしても、首相たる人間が、思いやりのある言葉で、
相手の立場になって責任ある言葉で外交を進めていけば
争いもなく穏やかに、話し合による平和が訪れるものと思います。
 
相手を挑発する首相の悪い言葉では、解決する諸問題もこじれる一方です。
村山先生がいつも述べられていますが 言葉は発することで相手を傷つけたり、
また逆にうれしくさせたりしますとのことですが、
まさにそのとうりだといつも思います。
私しもまだまだ発する言葉が、よくないことがあります、
その時は、必ず苦しくなります
 
言葉の威力を体験させられました私は、今後も、発する言葉に気を付け相手が和む、言葉使いになれるように努力していきます
 
【感謝の心について】
 
私は、自分の境遇(心の病気や、おかれている立場)を嘆いてばかりいました。
気持ちの持ち方を変えて、感謝する心に切り替えますと 
落ち込んでいた心もおさまります
ご飯が食べられることに感謝
寝起きする家があることに感謝
働ける職場があるひことに感謝
毎日、何事もなく暮らせていることに感謝
歩けることに感謝
風呂にはいれることに感謝
話をできる恋女房がいることに感謝
子供たちも巣立ちそれぞれ道を歩んでいることに感謝
故郷にいられること(原発汚染もなく)に感謝
会社で信頼されていることに感謝
給料がいただけることに感謝
健康でいられることに感謝
天津神様をお祀りできることに感謝
村山先生とお話をできることに感謝
すべてのことに、感謝の気持ちを持つと なんとなく気持ちも落ち着き、
心が楽になります。 
自分の境遇を嘆くことなく、天国へ行くための試練と受け止め感謝することで穏やかになれます
 
心の病気の心境を理解できるのはそれを経験した人でなければ、
理解できないと思います
表面は見た目変わりなく、心が病んで苦しんでいる人の、
手助けをできたらと思っています。
苦しさを体験している自分だからこそできるものがきっとあると思います。
今後とも神様に喜んでいただける人間になれるように、心の修行に励んでいきたいと思います。
今日はわたくしの体験談を聞いていただきありがとうございました。
言葉で、人間をなごませてください、
何事にも感謝を表してください もっともっと感謝のできる人間になれますよう努力していきたいと思います。
 
天津大祖大御上様、天津祭神大神様 村山先生
 
宮城県  伊藤
 
 


平成26年1月5日

これまで一緒に学ばせていただいている天津会の皆様にはご存じのことですが、私にとって亡くなった長女のことを抜きに天津会・村山先生との出会いはなかったことですので、最初に長女の事から少しお話しさせていただきます。

私が天津会・村山先生の元で学ばせていただくこととなったのは平成8年に生まれた長女千佳のことがきっかけでした。

当時の長女の出産は、首にへその緒が5重に絡みつくという大変危険な状態で生まれ、新生児病棟にも入院し、黄疸の異常もありましたが、治療をして3週間ほどで退院することができました。その後も順調に発育しているように思えましたが、生後1カ月もたたないころにSIDS乳幼児突然死症候群という症状に陥ってしまいました。

それでも一命を取り留めてくれたのですが、脳に一時でも酸素が行き届かなかったことで脳細胞が破壊され、今後の成長に大きく障害が現れる事がわかり、その後重度の小児麻痺になってしまいました。

長女が一命を取り留めてくれた時は、医師からは「長女の成長は神様しだいだ」といわれて、それは今の西洋医学では手の施しようがないと言われているのと同じで、私は生きた心地がしなくて、長女が首にへその緒が巻きついて生まれたように、私も首を締めあげられる心境で、苦しくて、何日も、眠れないし、食べ物も全然食べたいと思わないのをやっと流し込むような日が続きまして、この世の生き地獄とは、こうゆうことだと痛感しました。

そして、医師から与えられるのは、再び症状が発生しないために発作を抑えるためだけの薬で、それは気味の悪い蛍光色のピンク色のデパケンという液体の薬で、どんな味がするのかと私が口に含みますとひりひりして砂糖甘いような奇妙な味で、こんな気味の悪いものを生まれたての新生児に3度の授乳の合間にずっと飲ませ続けなくてはならないのかと思うと、そしてそれをしたところで長女が健やかに育つ可能性はないとおもうと、本当にむなしくて、悲しくて、生きる気力も失ってしまって、私はなんでこんな苦しい思いをしなくてはならないのかと気が遠くなりそうな心境になり、長女も元気そうな小さな赤ちゃんなのに、この子の将来はただの生きるしかばねのようにしかなれないのかと思うと、私は、そこにただいるだけでやっとの思いで、呼吸するのも辛くなってきて、なぜ私は娘を守ってやれなかったんだろう、もう生きていたくないと思えました。

そして今まで漠然と信頼していた現代の最先端医療も長女を救ってはくれないのだから、よりどころを失ってしまい、きゅうに先の見えない世界にほうりだされてしまったようで医師からも、長女がおもちゃのガラガラを握っているのを見て「赤ちゃんみたい」と言われて、私は心の中で「立派な赤ちゃんですよ!」と思っていましたが、医師はもう長女のことを健康な赤ちゃんとして見ていないのがわかって、むしろ今後の障害がどのように表れるかの実験台を見るような冷たさを感じて、そして私の家族からもこんな風になったのは母親のおまえのせいだといわれて、ただでさえ母親として無事に生んでやれなかった責任を感じているのに責められて立つ瀬がなく、私は、世界広しといえどもこの世には誰もいないのと同様な大きな孤独感を味わい、広い世界で娘を抱えて、たった一人ぼっちという心境になっていました。

それからは楽しそうな親子連れを目の前にしても、もう、私には二度と味わうことのない別世界の事と思えて、どうすればいいのかわからず、途方に暮れてしまいました。

それでもどんな絶望感にさいなまれようと、生きているのですから、生きていかなくてはならないのですから何とかしなくては、というわらをもすがる心境で、なるべく自然な方法で長女をよりよく成長させる方法はないかと、ハリ治療や、整体や各種療法を試して、私の命のある限り、長女にできる限りのことをしようという思いで行動していました。

それと並行して、このような不幸に出会うのは先祖供養ができていないからその苦しみを私たち生きている子孫に知らせていると兄嫁が宗教で学んでいることを教えてくれて、100日供養をするよう勧めてくれました。

私はできることはやってみようという気持ちで、どのような先祖の霊障なのかは分からないまま、とにかく娘のためにという気持ちだけで、毎日お水とミルクを供えながら、私が今味わっている気の遠くなるような苦しみを感じているご先祖様がいるなら「どうか苦しまずに成仏してください」と心からお願いしつづけて行きました。どうせ眠れないのだからと夜もお祈りし続けました。

そしてある日、亡くなりかけていた母親を手のひらのパワーで治してしまった奇跡のヒーラーの話が映画になっていたことを思い出し、その高塚光さんに運よく連絡を取る事が出来て、4回ほど施術してもらうことができました。その頃は高塚光さんの本をすべて読み、その中の主要なことは、この世のものはすべて次元上昇することを目指していて、3次元の者は4次元を、4次元の者は5次元、更に上へと目指していると学び、また上の次元の者の思い通りに下の次元を支配しているとも書かれていて、確かに3次元に暮らす私たちが2次元の世界の漫画や物語を自由に表現できるように、すべては偶然に見えながらも必然的な事が上位の世界から与えられていると学びました。

だとしたら私の受けた運命は、ちゃんと上位の世界の人たちから意味があって与えられたものなのかと思えて、それならぜひその理由を知りたいと思うようになっていました。

そして、高塚さんはあまりに忙しい方でしたから長女を定期的に見ていただくことは難しかったので私の疑問にも答えてもらえる見えない世界のことに詳しい人は他にいないかと探し、次に恵照雲という神霊師の方に出会う事が出来ました。

高塚光さんは神様からの力をもらっているのではないとおっしゃっていましたが、恵照雲さんは天照大神様を祀って神様のパワーを送ってくれて娘を治すといってくれました。

そして、私に対して「あんたが悪いんじゃないよ、あんたはこの家の代表と成って先祖の苦しみを受けているんだよ。あんたのことを思うと気の毒で血の涙が出るよ。」と言って慰めてくださいました。

その頃はそんな風に私に慰めの言葉を言ってくれる人はいませんでしたから、それだけで有り難く思えたのを覚えています。そして、長女が治ってゆく過程はまず定期的にパワーを送り続け、元気になってきたら、とりついている先祖の不成仏たちとその神霊師が命がけの戦いをして、長女の中から不成仏を追い出して完全に長女が良くなるようにしてあげるというものでした。

そうして3日に一度のペースで、何とか長女を良くしてもらいたい一心で通い、しばらく様子をみましたが、良くなっているのかどうかあまり分からず、逆に疑問を感じることも出てきていました。

それは、長女に苦しみを与えている不成仏を解決してから娘の治療をしてくれたらいいのにと、素人ながら考えが浮かび、そのころ、たまたまタウンページの村山先生の広告が目にとまり

神占→供養→神通治療と書かれているのが、なんだか神占いをして霊障を出している人を突き止めて供養してから治療してくれると書いてあるのかなと思えて、それならこちらの先生をたずねたら 私がいま思っているような順番で解決してくださるのではないかと思うことができて、連絡をとらせていただくことができました。

そして「聖なる神通力」と「交神力」が出版された直後でしたので、その2冊を拝読させていただきました。

このころ勧められておこなっていた先祖供養の100日供養が完了するところだったので、供養の気持ちが通じて新しい神様に出会えたのかなと後になって思えました。

村山先生に出会えて、御本を読ませていただき「まるで私のことが書かれている」と特に思えたことが2つありました。それは「聖なる神通力」の182ページに神様とのつきあい方という項目があり神様を信仰し続けると上位の神に進むとあり
私が村山先生に出会うまでの「神様の力ではない」とする高塚光さんや、その次に出会えた天照大神様を祀り,供養の大事さを教えてくださった神霊師の方に出会えたことは順序を経てきたことなのだと思えました。

神霊師の方が不成仏と命がけの戦いをして不成仏を娘の体から追い出すとおっしゃったのと違って、村山先生は不成仏を成仏させる専門の神職をつかさどっていて霊障を出している不成仏を明らかにして40日ほどで成仏させてくださるのですから、不成仏をただ体内から追い出すのでなく、供養成仏させることが大事とおっしゃってくださるのですから、不成仏の立場に立てば、まったくその通りだとこちらに来れば安心して先祖も成仏してくれるだろうと思えました。他の宗教とはまったく違って、神様の力の大きさを感じました。

そしてもう一つは「交神力」の135ページの 再婚には霊障はつきもの、というここを読んで、まさにこれは私の家のことだと思いました。私の祖父母がお互いに戦争によって相手をなくし子連れ再婚で、それによって兄弟にならされた義理の兄弟の弟のほうが私の父で
父は父の義理の兄が戦争で亡くなったことで義理兄のお嫁さんと結婚し、さらにそのお嫁さんが病死し、私の母は先のお嫁さんが亡くなったところに初婚で嫁いできたので何回も死別再婚を繰り返す複雑な運命でしたから死に別れの再婚を繰り返している霊障が出ていることは明らかだと思えました。

(ここでいう再婚が霊障を出すのは死に別れて供養が出来ていないからで、生きながら納得の話し合いで別れる離婚のことではありません。)

そして、私は嫁に出たものですから直接の娘の障害を負う原因は私のこうした実家の霊障でなく、同じような因縁を持つからこそご縁があった嫁ぎ先の霊障が原因であり、私の夫だった人の母にうかがったのは祖父に当たる人は4回再婚をしていて最初のお嫁さんが妊娠して流産してしまい、そのことを責められて悩み自殺してしまったとうかがい、

その後祖父は3回も再婚を繰り返したのは最初のお嫁さんの霊障であるとわかり、ちょうどその方の供養が終わる50年供養のときに、4番目の後妻であった方が亡くなられたので、4番目の後妻の子供である夫の父は自分自身の両親がそろってお墓にいてほしいために、お墓から最初の奥さんの遺骨をお寺に頼んで永代供養に出してしまったので、それが霊障となって、その時に妊娠していた私にシグナルをだして難産になっていたことがわかりました。霊障がはっきりして、私も無事に娘を生んでやれず、家族にも責められて生きた心地のしない日々でしたから私の苦しみが自殺した最初のお嫁さんの苦しみの表れだとよくわかりました。

そして、改めて心から可哀そうで気の毒なお嫁さんの魂に向けて「どうか、成仏してください」と祈る事が出来ました。心からの供養ということを私は娘の犠牲によって、身にしみて学ばせていただけたと思います。

供養を専門となさる村山先生の元で、こうして我が家の霊障も一歩ずつ解決していただき家庭の中も一歩づつ安定してゆきました。長女も最初に神通治療をうけてからまもなく笑顔を出せるようになって、それまでは無表情で瞳が外側をむいていたのですから、1歳を過ぎても首も据わらないしおすわりもできないし手足を動かすことも笑顔を見せることもなく、脳に障害を負ったために体のバランスがとれずに余分な筋肉の緊張がありそのせいで体が苦しくなり、ただただ泣くばかりで、そんな娘をみていて可哀そうで一日中抱いていることしかできずに苦しかったのが、娘の笑顔を見ることができたのですから母として本当に救われた気持ちになりました。

その後も、村山先生のアドバイスによって病院にも定期的に通い、障害児の手当ても手続きをして病院内の幼稚園から養護学校へ進学まですることができました。体調も安定して重度の障害児はふつうは毎日学校に登校することは難しいのですが娘は一般の健康な子供たちと同じように毎日登校することが出来ていました。もしも

天津会に来ることもなく、部屋の中で私と二人で、またいつ襲ってくるかわからない発作を心配しながら暮らしていたら幼稚園や養護学校での充実した経験はできなかったはずで、そのような娘の充実した暮らしを後押ししてくださったのも、村山先生のおかげで、私自身ではとうてい思いつかない人間らしい暮らしを与えていただけて本当にありがたく思いました。

長女に限らず、長男にとっても、夫の日ごろの厳しい言葉づかいで、しつけと称して長男が泣くまで厳しい言葉で追い込む言い方でしたから、それでは長男の心の成長のためにも良くないので言葉に気をつけるように言っていただいて、また中学受験も息子が希望したので頑張るように親の私たちを後押ししていただいて、それまでサッカーだけさせていたので長男の進学の希望をつぶさないで済んでよかったと思います。おかげさまで、その後の本人の努力もあって、現在は就職して社会人として暮らせていることを聞き幸福に暮してほしいと願いながら長男の子供のころの環境が天津会の教えを聞いて守られていたことが有り難かったと思えて感謝しています。

また元夫自身にも仕事の相談などにのっていただいて昇格することもできて、家族全体に幸運を与えていただいていたことを感じます。その後、長女が亡くなり離婚することと成り、それは私達夫婦も知らない本家の大本の墓を先祖が捨てていたことなどがあきらかとなって、なかなか霊障の根深い家でしたので問題が尽きないですが、このあたりはまた皆さまのお役に立つ内容があれば、いずれの機会にお伝えしたいと思います。

私なりにこうしていろんなことがあって、取り返しのつかない不幸に見える事が多くあったのですが、天津会にきたからこそ、苦労は無駄ではないと心から思うことが出来ています。なぜなら皆さんも学んでいらっしゃるように別天天国があるのですから、地球生活は限られた試練生活の場だよと学んでいるのですから、だから生きているうちは、それぞれの人がその人にふさわしい宿題を与えられているんだと思います。試練は簡単にかたずかなくても、たとえ一生背負っていくものがあったとしても、先日の村山先生の新年のお言葉どおり、その方の魂の成長のために必要経費を払って勉強中なんだなと気づいたら楽になれると思います。人生思いどおりじゃなくても大丈夫だ、それより永遠の幸福への道が開けたから安心なんだと思っていただければいいんだと思います。

私にとっても長女の出産からその後のことは、生きた心地のしない生き地獄でしたが、だからこそ真理に出会えたし長女の魂は、今現在は天津神様とともにいるのだから本当に幸せだと思えて感謝しています。

考えてみると子供のころ、私は病気をしやすく、すぐに高熱が出るタイプで、すぐに42度まで熱が上がってしまい、あるとき3日間その熱が下がらない事があり、医者からは「この子はあきらめてください」と言われることもあって、入院する事もあって、そんなことから、子供のころから生まれてきたことへの不安というか、人間は何のために生まれてきたのかという思いが私なりにあったと思います。

ご近所にも、同じくらいの年頃の子供がおらず、ひとりでいることが多く、そのためか絵を描くなどして遊ぶことが多く、きれいなものを真似して描くのが好きで、美しいものが好きだという誰でも持っている気持ですが、その思いが、変わらないほんとうの美しさとはどうゆうことか、形あるものは必ず老いてしまったり古くなってしまうのだから、年を経ても経験から磨きをかけてゆくこともできる心の美しさを本物の美しさというのかな、などと考えるようになって、そうゆう子供心に育っていたものが、

やがて社会に出て生活をする中で、経済最優先の大量生産・大量消費の時代の中で、どんどん使って、毎日捨て去るものがあって、忙しく時間に追われる暮らし方に心ではついてゆけない私自身がいて、人は瞬く間に大人になってゆくけれど、またすぐ老いて跡形もなく消えるだけの存在なのか、それとも人生を生きるということに真実のようなものがあるのかなど、心の中にあった思いに、天津神様に出会えて、答えをいただけているんだと思います。

人間には「良心の呵責」というのがあるし、誰でも「真・善・美」を求めるのが人間の自然な心の志向だと思うし、それは親と子が顔が似ているように、私たち人間が神様の子であるから、私達を創造なさった神様の性質を自然と受け継いでいる証拠だと思えて、人間はみな神様の子だという証明だと思えて、村山先生からは天津神様は神様の子である人間を平等に見ていて、心の正しいものだけを永遠の幸福の世界の別天天国に導きますよ教えていただけて、現在の競争社会のように、戦って勝ち残ってゆかなくても目立たずとも心の中で善悪の判断を大事になさって、ご自分らしく生きることで大丈夫なのだから、本当に心強く、今後の人生も安心して暮らせると思います。

天界図を学ばせていただいて、天津会で学んで振魂修行が出来て、心が整えば、天界図の6番には到達することが許されて、そこまで行けたら再び試練生活の中に生まれてくる必要はなく、後は更に上位の霊界・更に天界へと精進することだけを考えていいし、さらに別天天国まで到達できたら肉体をもって暮らすことが出来て、そこには広大な83個の神様の世界があって地球の暮らしとは格段に違うおとぎの国が存在して、その広い世界を自由に往来することが許されているそうですから、肉体死亡後の永遠の幸福を目標に持てるのは、今後の人生を老いて死にゆくだけでない大きな楽しみができて、本来神様はそんな風に人間を導いていたんだと思います。

そして、83このうち、もうひとつの地球のような試練生活を営むバナナの房がある世界からはどのくらいの人間が別天天国に進んでいるのでしょうかと村山先生に質問しますと、9割の人が神様の世界に行っているということで、ほとんどのみなさんが天津神様になっているということだから驚いたのですが、

それは日常の暮らしが心から神様に感謝をささげる生活をして、戦争のない、競争のない社会が実現しているそうなのですが、うらやましい限りですが、でも、心が神様に感謝をささげて日々暮らせているから神様の世界に導かれているということは、難しいことを求められているのじゃなく、日々の感謝の心を持てる暮らしが出来たら人間は永遠の幸福の世界に導かれて、神様になれるんだと感じました。

地球生活に埋没していると、弱肉強食とか、合理化とかいう言葉がこの世を動かす原理のように頭の中に刷り込まれていますが、考えてみれば、赤ん坊は生まれて自然に首が座って、自然に立って自分で歩けるようになり、自然と持っているものを開花できる存在なんだと思います。
人間は心正しく生きたら神様の永遠の世界に導かれるのだから、限られた資源と限られた命の地球生活の中で無理して競争することはないことが分かって、そうすれば肉体死亡後の永遠の幸福まで頭にイメージ出来たら

村山先生のおっしゃる「総論理想の実現」と「各論の実現」(別天天国34ページ)を考えることは理想として実現不可能ではなくぜひ実現させたい目標と成ってこれからの世界を考える大事な考え方になってゆくと思います。

本当は、先祖を供養する気持ちから、ずっとさかのぼって神様までたどり着くのが、本来の人間の魂の道だったと思いますが、現実は動物霊に支配されて、動物の化身の悪魔が力を発揮しているのがこの世ですから、肉体死亡後もほとんどの方が魂が上昇することもなく、低い世界にとどまって、地球しか命は存在しないように思わされているのですが、高い神様の世界はずっと上のほうに広がっていて本当は地球は針の先でつついたようなわずかな世界なんだという真実を知って動物霊に洗脳されないように、洗脳されていた社会はそのことに気づいて、これから世界は変わっていかないといけないと思います。

天津神様も村山先生も、過去と性格は変えられないとおっしゃるように、私もご指導いただいた言葉を、正しく受け入れる努力が大事だなと思います。ご相談申し上げる際には素直に自分の正直なところをお伝えして、それに対する先生のご返事も何をおっしゃって下さっているのか、恐れおおくて理解ができないままではいつまでも解決つきませんので、よくお話をうかがって善悪の判断をもって、神様を頼るばかりでなく自分のできるところからの努力を実行してゆくことが大事だと思います。

村山先生は皆さんに別天天国に行ってほしいとおっしゃってくださいます。そのようなおとぎの国が存在するなんて、夢見ているようで、にわかには信じがたいこととして一般の方には受け入れていただくには時間もかかるかもしれないですが、

天津神様を信じるにも、神様に通じる村山先生のお人柄に接すれば、神様を信じられるようになると思います。村山先生は、損得なしに本当に一人一人の方に親身になって向かって下さり、相談するこちらが家族からも見放されているような状況でも、求める姿勢で努力できる人には神様は決して見放さないということが実感できると思います。

そうして、別天天国に行けるようになるには、天津神様からのパワーを頂くことが大事で、それは振魂(ふりたま)を頂くことなのですが、ちょうどそれは肉体死亡後に別天天国に上昇してゆくために魂に特別のエンジンを備えつけていただくようなもので、お金を出して買えるものでなく、自身の心が天津神様に信用されて神様と見えないパイプでつながれた状態で神様のエネルギーが送り込まれる事を言うのですが

ぜひその力を体感するために、毎月第一・三日曜日に開催している「天津会セミナー」に」参加していただきたいと思います。村山先生直伝の心の勉強と正しい心で高い世界の神様のパワーをいただく体験をしていただきたいと思います。現代の世の中を憂えて心が不安にさいなまれるというような方こそ、真実を知って安心するとともに、神様の温かいパワーをいただいて徐々に心に自信が備わり、心身の安定を実感できるようになると思います。現代医学でも重病として手術も絶対に必要と言われたり、あと3日の命と言われた方も、神通治療を受けて奇跡的に回復し、その後何十年とお元気の方もいらっしゃいますから神様のお力をいただく事を心底信じて施術を受けにいらしていただきたいと思います。そうして奇跡を体験したら、今度はご自分も振魂をいただくことで人々に神様のお力を送る事が出来る神通力者にもなれるのですから、振魂を体感して頂きたいと思います。

人間は、偉そうにしてこの世界を創造なさった神様の心を忘れて、グローバル化などと言って、ほんの一握りの人たちが世界を動かそうとしているのですが、その人たちでさえも神様に生かされている命ですし、永遠にこの地球に生きられないという当たり前のことに気づいて、自身の永遠の幸福を手に入れるためにも

天津神様のおっしゃってくださる言葉を聞いてくださって無用な競争と支配の世界をやめてほしいと思います。

昔、天動説が主流だったころは地球を中心として太陽も月も星星もその周りをまわっていたと信じられていたのですから、その時に現代の地動説に気づいた人は、とんでもないことを言うと厳しく批判されていたと思います。

いまはまだ、村山先生がおっしゃって下さる貴重なお話は、そんな風に人々に簡単に受け入れられていないところですが、徐々に時代は変わっていると信じます。変わってゆくように、私のできることで微力ながら皆様にお伝えする努力をしてまいりたいと思います。

そして私自身も、別天天国に導かれるようになれますように、日々心の修業をして暮らし、出来ることを努力し皆さまの役に立てる神通力者となって

皆さまとともにこの世の問題に向かって、心ある皆様と共に人生を伴走していきたいと思います。

天津神様、村山先生、そして皆さま、今後ともよろしくお願い申し上げます。

                    平成26年1月5日 新井孝子








平成26年2月2日

天津神様方

村山先生    

 いつも私達をお守り頂きまして、ありがとうございます。感謝申しあげます。

 一月十九日の修養日に、村山先生より「振魂」について発表するように・・・との事でしたので、今回、先生の本を再びよみ返させて頂き、大事だと思った所をまとめさせて頂きましたので、お話させて頂きます。

 まず、「振魂」とは,『神々の力で、自然体で、平常心で、体全体が小気味良く自然に動く』ことです。

 体が自然に動き、意識が変化しないで、(正常心)神威に感応する事で、規則正しく動かなければなりません。天津大宮で村山先生が神前に立ち、祝詞奏上をしますので、その後ろで、心を気楽にして手をあわせて、立っているだけでいいのです。

 人間は皆、神様の子供ですから、誰でも修行すれば、自然に体が動く事になります。

この時、大事な事は、天津神様の存在を信じる事です。振魂による魂は、自分のものであって神様のものだからです。

 振魂を頂く為には、私達の体も心臓の動き一つ全て神様の借り物であって「自分は生かされている。」という事を知る事です。天に通じる「善なる心」、感謝したくなる気持ち、

祈りたくなる気持ちが必要です。神様とのパイプがつながると、まず、天津須佐之男大神様が神威を授けて下さいます。最初に前後にとくに後ろにひかれる様な動きとなります。神様によって動きが異なりますが、十分にお力を授けて頂きましょう。

 天津神様は、正しい神祀りをした人に神威を授けて下さいますので、まず、自宅で神祀りをする事が基本です。神様を信じ、受け入れる心を整える事です。次に、今現在自分が持っている力でお社を作る事です。自分で作る事で色々な勉強もできますし、何より、神様を自宅にお迎えする嬉しさ、ありがたさ、楽しさ、作る喜びを得る事ができます。神様は実際に行った事を重要視されます。日頃の正しい心の持ち方、行い、生活の実行が大切です。振魂向上の為の努力が自分の実力となり心身共に自信が持てる様になります。

 「神祀り」をすると、自分が食事をする前に、毎日、朝夕、神様にお供え物をします。私達も食事をする事で生命を維持しているのですから、神様にも毎日供えてお力を頂いて下さい。榊・米・水・ご飯・味噌汁・お茶・果物・等です。また、頂き物や特別に買い求めた物等、普段と違う物を供えるときは、神様にきちんとその理由を説明して下さい。

又、感謝の気持ちやその日にあった事等を神様に報告して下さい。祈願した事が叶ったり、良い事があった時には、本宮にお礼参りをし、奉納して下さい。 

 

 次に、「呼吸法」です。手と手を合わせ自分の胸を宇宙とイメージして、時計回りに実施します。次に、「清め方」ヒー、フー、ミー、ヨー、イー、ムー、ナー、ヤー、コー、トー

心をこめて声を出し唱えると、やがて功徳が得られ、神様からご利益を得られます。

「清め法」は、自力で、「トントン」と胸を叩く修養です。自然に勝手に自動的に手が動くのが、「振魂」の初動です。胸は宇宙です。「トントン」叩くと、この地球から幽界、霊界、神界、神の世界の上にある別天天国まで届かせる事ができます。

 修養中に「アクビ」が出るのは、邪気が出て血液までサラサラになり、ガン等の難病になりにくく疲れが取れスッキリします。 

 仮に振魂が出来なくても、祈願して胸をトントン叩くと心が健全になり、体が健康になって心もスッキリし気分も晴れやかになります。神様の力によって、自然に手が動く力が重要な働きを持っています。自分の心と神様の魂が合体すれば神通力を受ける事ができます。

   「具体的な振魂向上の為の努力とは・・」

@     祭神様には、それぞれ専門の役割があるので、その事を知る事が向上の道につながる。私達の人間の職業と同じです。 

A     霊障があれば憑いている霊を供養して成仏して頂き、スッキリとした気持ちで修行できます。霊障とは・・水子、外水子、先祖霊の祟りや人間関係で恨みをかっていないか(生霊)等・・村山先生に相談し供養して頂いて下さい。しかし、心の持ち様が悪いと何度でも戻ってきてしまいます。

B     修行所の天津大宮に自主的に足を運ぶ努力をする。 

毎月第一、第三日曜日に「心の勉強会」に参加」しましょう。セミナーの講義を受けて「神に通じる心」を知って、神様と「パイプ」ができ魂が通じあう事を「合一する」といいます 

 祈願の時の心構え、祈りたくなる心、感謝したくなる心、初心を忘れない心、当たり前の事が有難く感じられる心、今が幸せで満足できる心、念ずれば花開く事・・等を学びます。人間は気持ち(心)の持ち方によって運勢を開花させる事が出来ます。セミナーに参加する事によって、「自分は何をやっても駄目だ」と落ち込んでいた人が、落ち込んでしまう気持ちの持ち方や原因を把握するだけで、気が楽になれ、心が軽くなり善悪の判断が出来るようになります。美しい心を持つ事によって、神様は受け入れてくれ迎え入れてくれます。その様な心理を学べるのが、「心の勉強会」です。

C     自分の「心」に神々からの通信をしっかり受信する受信機を設置して下さい。           

 「感」と「気」を養う。

D     自分が何故この地球にいるのかを考え、自分の役割を理解する。 

 善なる行動を心がけ、別天天国へ行進出来る様に神様とパイプがつながる努力をする。

E     人の目につかない所でも、常に徳を積む努力を怠らないで下さい。例えば、ゴミを黙って片付けたり、トイレが汚れていたらキレイにふいておく、等をしていると後で運がつきます。

 

こうした事を日々、常に自分に言い聞かせて実行していけば神通力者になれます。

しかし、一生懸命祈っているのに効果が出ない、又、心から祈っても祈願達成出来ない場合があります。これは、祈力を妨害している霊障があるか、祈願する人が心の底から祈願していない場合です。

       「祈りの効果が出ない理由として」  

@     神様と約束をした事を実行していない

A     過去に神様を否定した事がある

B     願掛けをして、お礼参りをしていない

C     日頃、積極的に神様と接していない

D     人間としての生活で過ちや罪、けがれがある

E     他人や神様に対して大失敗をした

F     心の乱れ、憎しみ、焦り、怒り、不安、恐怖、言葉の使い方が悪い

G     神に反する求め方をしている

H     神に制限されている

I     先祖代々、先亡霊や神仏の祀りが良くない

J     神々に罰や制限を与えられている(自殺や不幸な死亡で不成仏) 

 

 言葉使いや態度が悪く、神々を信じる心に欠けている、日常生活において活気がない、体がボーッとしている、例えば、のらりくらりとした態度で言葉使いが悪く、他人に迷惑をかけているのに本人は気が付かない、仕事に情熱が持てず、同僚達と楽しく仕事をしようという気持ちになれない、又、何か失敗した時に言い訳が多く、すぐに他人のせいにしてしまう・・などの人は修行所に、何度足を運んでも振魂向上はみられません。

 人間には長所、短所が誰にでもありますが、自分の特徴を見つけて、長所をのばす努力をして、短所をできるだけ治す努力をして下さい。そうすれば必ず振魂向上がみられると思います。

 「振魂」神技を身につけるためには、お金ではなく、「善なる心」天に通じる心が必要です。大事な事は、自分自身を好きになり心から愛する事です。愛する事が出来ないから、あなたの心身が不安になり彷徨ってしまうのです。自分自身を愛して自信を持って生きてください。 

 神様は、この世の人類全員に試練を与え続けられているのですが、その目的は「善なる心」を求められています。試練を正しく克服した人が神技である「振魂」が授かり、後に「おとぎの国」の別天天国へ行く事が出来るのです。エゴや我欲をむき出しにして生きている人間は、別天天国には行けません。

 あなたに必要なのは、「精神の修養」からの出発ですから「素直に感謝」したくなる気持ちです。祈りたくなる気持ちも必要です。

  今回、「皆さんの為になる発表をして下さい。」と村山先生に言われ、「振魂」についてまとめていくと、私自身が日々の生活に追われ、初心を忘れ、自我を出し、謙虚さを忘れ、振魂修行も自分達の都合の良い様に勝手に解釈して、生活している事に気付かされました。

 自分の都合の良い事ばかり求めて生活していると、周りの人の苦しみが見えなくなり、注意をされても、自分を守る為に相手を攻撃する言葉や言い訳ばかりして、「はい」と素直に返事をして、心に入れる事が出来なくなってしまいます。心が寂しいと、弱い所を見せたくないと我が強くなり、「不満」は「不安」を生み、やがて「不運」となります。自分の欠点に気付く事が出来ないから、悩み苦しむのです。体に関係のない精神的なストレスでも、肉体がすごく疲れます。万病のもとは疲れです。

 私も、「心身が疲れきっている」と村山先生に言われ、神通治療を受けながら天津会の修行に参加させて頂いていました。不登校の息子が学校に行ける様に祈願して、毎日大宮に「陰参り」もさせて頂き、一生懸命、神様を信じ修行に励みました。村山先生にアドバイスを頂き、先祖霊や不成仏霊の供養をして頂いたり、息子は、「環境を変えないと良くならない」との事で、「引っ越し」をしたり、色々な問題を一つ一つ解決して頂いたお陰で、私の不安や心配が次第になくなりました。何事もクヨクヨと物事を考え、行動出来ずにいた私が、村山先生に「大丈夫ですよ」と言って頂けると安心してアドバイスを実行する事が出来ました。

 言葉は「言霊」です。言葉一つが「相手」にも、巡り巡って「自分」の魂をも傷つけたり、喜びにもなります。失敗したり、叱られたりすると、胃の中が酸っぱくなり、それが悪い薬ともなります。毎日使う言葉が大切です。村山先生の言葉に救われたのです。

 私が「振魂」を頂けたのは、天津会に参加させて頂いてから、一年七ヶ月が過ぎた頃でした。不安が無くなり、心身共に治して頂け、魂が軽くなった為だと思います。初めは半信半疑でしたが、やっと天津神様に認めて頂けた事が大変うれしく、ありがたかったです。それからは、尚一層自宅での修行が楽しくなり、時間を忘れて修行に取り組んでいた事を思い出しました。

 天津神様方、村山先生、天津会会員の皆様、私の発表を聞いて頂き、ありがとうございました。感謝申しあげます。

 村山先生は常々、「初心を忘れずに」「辛かった時の苦悩している事を書き残しておく」様、仰っています。今回、お免状を頂いた時の発表文を改めて読み返す事が出来ました。改めて感謝申しあげます。

 「振魂」修養は、別天天国へ行進する為のものです。今回の私の発表が、少しでも皆様のお役に立てれば幸いです。本日は本当にありがとうございました。

                           平成二十六年二月二日 T.J






平成26年2月16日

天津神様 村山先生いつもお守り頂き、お導き頂き有り難く感謝申し上げます。

今回、このような発表の機会を頂き、有り難うございます。

私自身、神通治療の体験を通して感じたことをお話しさせて頂きたいと思います。

 

 私は、天津神様にご縁を頂いてから、12年になります。天津会を訪れた時には、体調が悪く精神的にも不安定な状態にありました。天津会に参加し振魂修行をさせて頂き、月2回の神通治療をして頂きました。

霊障を受けると体が重く、背中が苦しく背筋を伸ばせず、筋肉が固まってくるのを感じました。先生に供養していただき、神通治療で体の苦痛を取っていただきました。

天津会に参加し、神通治療をして頂くごとに目の前がすっきり明るくなり、心が軽くなり爽やかな気持ちになりました。体調は整い、“頑張ろう”という活力が湧いてくるのを感じ元気を取り戻しました。

 平成15年に、準神通力者の認証を頂き、村山先生が私の後ろからパワーをお送り下さり、その直後から体をトントンすると、体の悪い所がピンポイントで判るようになり、治療が出来るようになりました。

ご神威を頂くことで掌が暖かくなり、パワーを感じることが出来ました。神様にお願いして治療をさせて頂くと、体の凝りや捻挫は1回、数分の治療で痛みが取れてよくなりました。私はこれまで、数人の方の治療をさせて頂いております。うつ病と言われ、暗く沈んでいた友人は水子の霊障がありました。3回の治療でよくなりました。19歳の女性は、心療内科に通い“心的外因性ストレス障害”と診断され、そう状態、うつ状態が交差し、うつ状態の時には色々な出来事が頭の中で起こり、自分を責めて、辛くなるとリストカットし過換気状態になり、呼吸することが苦しく、痙攣を繰り返し何度も救急搬送されました。心療内科では安定剤、睡眠薬が処方され薬はドンドン増えていきました。食欲はなくなり気力を失い精神科への入院の寸前の所で出会いがありました。原因は祖母の霊障であり、治療すると共に供養をすることを勧めました。

村山先生のアドバイスを頂きながら、神通治療を行いました。脳波の異常があったのですが、3回目の治療の後検査したところ“異常なし”との事でした。4〜5回の治療で彼女はすっかり元気を取り戻し、出会いから半年後には看護師の国家試験に合格し、何事もなかったように元気で、現在は看護師として活躍しています。

 私の母は、コンクリートの側溝のある所から56メートル下へ転げ落ち、胸椎4番目と5番目の圧迫骨折をしました。当初は激しい痛みがあり、背中が曲がり、頭をうなだれ上げられず、横も向けず、左手を上げる事すら出来ない状態でした。約3週間の間、べットに横になることも出来ず、腰掛けて座ったまま眠れぬ夜を過ごしました。

母が負傷して26日目に病院を訪れ治療をすることが出来ました。苦痛に耐え、やつれた母の姿は胸が詰まる思いでした。天津神様に祈願しながら神通治療をさせて頂きました。母はわずか30分足らずの1回の治療で頭を上げて前を見て、左横も向けるようになりました。辛そうに沈んでいた母の顔がみるみる明るく目に輝きが出て笑顔になりました。23回の治療で母は、手を肩より上に挙げられるようになり、姿勢も良くなり背中もシャンと伸び、前を向いて歩けるようになりました。

病院のリハビリの先生、周りの誰もが、母の変わりように目を丸くして“魔法を掛けたのではないか、どんなことをしたんですか?”と、不思議な素振りでした。母はあり得ないほどの速さで回復しました。神様は偉大なお力を下さいました。母が回復できたのは、まぎれもなく神通治療のおかげでした。本当に有り難く嬉しい出来事でした。

私はこれまで、天津神様、村山先生より本当に多くの事をご指導頂き、幸運を頂いております。

人にはそれぞれの試練があります。私自身も体験しました。

私は、生まれつき股関節が浅く30歳を過ぎてから、長時間歩いたり、疲れが溜まると痛みが出て足が上がらなくなり足を引きずり歩いていました。少し休むと痛みは取れて歩けました。40歳半ばを過ぎ、天津神様にご縁を頂き、神通治療をして頂くようになってからは、体に痛みやコリを感じることも少なくなり、症状も余り出なくなっていました。

平成18年、8年前のある日、駅の階段を踏み外し、それ以来、痛みが走り、足を引きずり歩くようになりました。歩き始めが一番辛く歩いているうちに、痛みは少しずつ軽くなり歩くことが出来ました。でも、長時間歩いているとだんだんと痛みが出始め、鈍痛からズキズキした痛みに変わり、そしてお尻、腰、股関節と足全体に硬く重くなりズキンズキンとした痛みが広がりました。

体の疲れがひどい時、霊障を受けた時は背中の方までも痛み、我慢することもやっとの思いでした。そんな中でも、正座をしているときだけは、痛みもなく座っていられました。

定期的に神通治療を受けさせて頂いていたので足は痛いのに気持ちが大きく落ち込むことはあまりありませんでした。保育園の仕事は座っていることが多く、動かなければ痛みは気にならず笑顔で仕事をすることが出来ました。昼間はまだ気がまぎれてよいのですが、夜になると疲れが出て、時間が経つに連れて足の付け根からズキンズキンと重たく丸太のように硬くなり次第に痛みは強くなり、脈を打つような痛みに変わりました。そんな時は足の位置を変えるのも痛くて、やっとの思いで、膝を立てたり、左向きになって眠りにつくのでした。眠れない日や明け方になってやっと眠れたのかなと思う日も何日もありました。

村山先生に治療して頂くと凝り固まった力が抜けて体が軽くなり、落ち着いた気持ちになり、座っていると痛みもなく辛さを忘れていました。動けば足は痛いのに気持ちは楽になり、“大丈夫!頑張れる”という気持ちになりました。

先生は“手術しないで治した方がいいよ”と言われ、“こんな所があるから行ってみたら”と親身になって下さいました。手術しないで治るなら“頑張ろう”と心に決め、日々を過ごしました。

 病院では、“股関節の軟骨がすり減って当たっているから痛いのでしょう。今の状態なら手術した方がいいでしょう。我慢できるなら、伸ばしても手遅れと言うことはないので何時でもいいですよ”と言われ、定期的に見てもらっていました。

平成23年、2年前の3月に片手に子どもを抱っこして片手で用事をしていた時、後ろにあったベビーラックにつまずき左足を強く着いてしまいました。激しい痛みが走り、しばらく動くことができませんでした。“もう、だめだ!我慢できない。”と思いました。それからというもの、足の痛みは増々強く感じるようになり、夜はさらに痛みに耐えかね眠れぬ夜もありました。歩き出す一歩で痛みが走るため、まっすぐ足を付いた方が良いのかな、外側に向けて付けばよいのかな、内側に向けて足を付けば痛みが少ないのかな、と足を付く場所を探りながら一歩を踏み出すのです。その一歩でズキンと激しい痛みが走ると、立ち止まってそっと一歩を踏み出すのでした。“頑張んなきゃ、頑張んなきゃ”と思いながらも、痛みに耐えかね大声で泣きたい心境にもなりました。そんな時、「駒さん、大丈夫?」と声を掛けられると胸が詰まり、涙ぐんでしまいました。

 7月に「駒さん、骨が擦れているんだから、骨がぶつかって痛いんだから、手術した方がいいよ。」と、村山先生に言われました。自分の状態は、よーくわかっているのに、先生の言葉を聞いて、手術しないで治さなきゃ、なんとかしなきゃ、と張りつめていた緊張の糸が“プツン”と切れて涙がどっと溢れました。乗り越えなきゃと自分に言い聞かせました。夜になると孤独になり心が乱れ“こんなに辛い思いをすることが、本当に試練なんでしょうか。自分の生き方が間違っているから、神様に罰を与えられて、いるんじゃないか”など、頭の中を駆け巡り、何日も何日も泣いていました。

 現に私の股関節はレントゲンで見てもピンポン玉のように丸い骨頭は押し潰されて平らになり、骨盤の軟骨もすり減ってなくなっていて骨がくっ付いて両方とも潰れ変形している状態でした。

いずれは手術をしなければいけないだろう。と思いながらも、人工骨になれば痛みはなくても骨の摩耗によって長くて20年、平均で12年は耐えられるが、11年摩耗して再手術をしなければならない状態になります。また手術しても23年で痛みが出始め、手術前と同じように痛みを抱えて過ごさなければならない人の確率も多いのです。手術は順調でも後のことを考えると少しでも遅らせないと。という思いがあったので“もう耐えられない”と思いながらもすんなりと決心はつきませんでした。

そして、8月の1か月間、神経治療をする先生の所に通ってみました。

8月の神通治療の時、「駒さん、悪いことは言わないから、このままではお金を捨てるだけだよ。手術をして楽になりなさい。」と言われました。先生は私がもがいていることをすべてご存知でした。自分の状態はわかっていても決心するまでに1か月がかかりました。

 12月に骨盤の臼蓋形成、人工股関節置換手術を受けました。2時間余りと予定された手術は1時間も満たないうちに終わり順調でした。手術の後、もうろうとしている中、数人の方がベッドを囲み、私の様子を見守って下さっている光景を見ました。

目を開けて周りを見ましたが、誰もいない回復室の中でした。苦痛はなくすっきりしていて穏やかな気持ちでした。天津神様がお守り下さっていたことを思い“これでよかったんだ。”と安堵し「有難うございました。」と心の中で深く頭を下げました。

手術後3週間は入院が必要と言われますが、私の場合は術後の回復も順調であり、年の瀬ということもあったので、手術後15日目に退院となり、自宅静養となりました。ゆっくり杖を突いて歩きました。術後3か月は足が重くて借り物のようでしたが、6か月を過ぎて本当の自分の足になり普通に歩くことができました。身も心も軽やかになり、辛く苦しかった痛みから解放されました。

保育園の仕事は立ったり座ったり、子どもを抱っこしたり、足に負担がかかりますね・・・と医師に言われました。

私はどうしようかと考え、もともと自分の目標は「医療の現場で仕事人生を終わりたい」との希望がありましたので、思い切って村山先生に「仕事を変わってもいいでしょうか?」と相談しました。「いいんじゃないか。」と先生の一言で保育園を辞めて病院に勤めることを決めました。

医療は日進月歩と言います。30年も前とは物事の捕え方、考え方、記録の仕方など戸惑うこともありました。でも望む仕事に付けたことが嬉しく心は満ちていました。今の病院は1年5か月になりました。

 痛みのために足を引きずり傾いて歩いていた時には、今日のように動き回り仕事をさせて頂けるとは思いもよりませんでした。

天津神様、村山先生に、ややもすれば折れてしまいそうな心を支えて頂き、励ましアドバイスして頂き、神通治療をして頂いた事でこれまでの数年を耐えてこられ、今日の私があります。過去を思えば、胸がつまり涙ぐんでしまいますが、今は越えなければならなかった試練だったのかな。と思います。

 試練は人それぞれです。私は、体の苦痛があることで気力が失われていきそうでした。この体験によって精神的な支えがあることがどんなに救われることか、人の心の温かみや思いやりがどれだけ有り難いことかを感じました。自分の体験したことの痛みを忘れることなく、同じように心を痛め悩み苦しむ人の支えとなり、手助けして心を癒せる存在になりたいと思っています。試練を乗り越え、克服することで大きな自信と精神的な強さを持てるようになります。私は今、元気に生かされているこの命を大切にしながら、人の役に立てるように頑張っていこうと思います。

 私も母も友人たちも、神通治療によって心が救われ、心身のバランスが調整され活力が得られ、命がよみがえっています。みんな元気です。

神通治療は双方の信頼の下「治してほしい、治りたい」「治してあげたい」と願う気持ちが一つになって最大の効力を発揮し、心身ともに癒してくれる治療です。

 現在の医学は、薬を以てまた手術によって体を治しています。精神的な病に関しては治療法が解明しておらず、症状に対して対症療法で精神安定剤、睡眠薬などが使われ、状態が安定しなければ薬が増えていき、病状は悪化するケ−スも多いのです。

病気は、霊障によることがほぼ100%だと思います。天津神様は原因となっている霊障を取り除き供養して下さり、神通治療をして下さることで心も体もすっきりと治すのです。神通治療は体の悪いところを治すと同時に体液、血液リンパの流れを良くし神経を強くし甦らせ、自己免疫力を高め、心身ともに癒して明日への活力を与える根本治療です。

神通治療を行うには、天津神様より振魂を十分に頂き、神通力を頂けることが絶対条件です。振魂が向上すれば神威を強く頂くことが出来、治療の効果も増すのです。

自分の辛かった経験は次に生かされなければいけません。私は近い将来、治療師として同じように痛みを持つ人の相談相手となり、親身になって相手の気持ちを理解し、神通治療で心身ともに元気になっていただきたい、一人でも多くの人に神通治療の素晴らしさを知って頂き、神通治療を広めて行きたいと願っています。

 今後も天津会の皆様と共に修行に参加させて頂き、天津神様、村山先生のご指導を仰ぎ、自分自身の振魂や神通治療の向上が出来るように、心身ともに健全で人助けできる人間になれるよう修行させて頂きたいと思います。

天津神様、村山先生今後ともよろしくお願い申し上げます。

                                  平成26年2月16日 駒走美代子